えー!! あの「厳島神社」が椎葉にもあった!!
2011 年 3 月 24 日 投稿者:椎葉村
今から約800年前、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武士たちは、山深い椎葉の地に逃げ延び、つつましい暮らしを送っていました。この平家一族のことを知った鎌倉幕府の総大将である源頼朝は、弓矢の名手、那須与一宗高(なすのよいちむねたか)の弟である大八郎宗久(だいはちろうむねひさ)に追討を命じました。
厳島神社
しかし、貧しい彼らの暮らしぶりを見て哀れに思った大八郎は、追討を断念し、幕府には「討伐を果たした」と嘘の報告をしたといいます。
さらには、椎葉の地にとどまり、平家の守り神である厳島神社を勧請したり、農耕のてほどきなどをし、彼らとともに暮らすようになりましたが、やがて、大八郎は平家の末裔である鶴富姫と恋に落ち、鶴富姫は大八郎の子を身ごもりました。
そんなときに、大八郎のもとへ鎌倉から無常にも帰還命令が・・・。
大八郎は身おもの鶴富に対し「男子が生まれたら我が故郷の下野(しもつけの)国へ、女子なら遣わすに及ばず」と言い残し、この地を後にしました。
月日が流れ、鶴富は女子を出産し親子ともども、「椎葉の地」で穏やかな日々を送ったと伝えられています。
この平家伝説の中にありますとおり、大八郎が平家残党の叛意なき姿を深く憐れみ、平家尊々の広島県安芸の宮島「厳島神社」の守護神を勧請して創祀したとされています。
ちなみに、この「厳島神社」は、県内では椎葉村のほかに「新富町」にもあり、全国では約500社あるともいわれております。なお、広島県安芸の「厳島神社」が総本社のようです。
皆さんも一度「厳島神社めぐり」をされてみていかがでしょうか。